線香花火

数年前にすい臓がんで亡くなった母親と僕の話です。

通院


毎日の生活で、2週間に一度の通院は、
1か月に1回に代わり、症状もなく安定していた。
土曜の朝から、混雑した病院に並び予約はしていたけど
順番通りいくわけでも無く。人が溢れた待合室で、
ずっと待っていた。

2時間くらいが経ち、呼ばれた。
朝から診察を続ける先生は、少し疲れたように見えた。
おっ母の診察を終えて、個別に話がしたくおっ母を待合室で
待たせていた。
余命1年のことは知られたくなかった。

先生曰く、
「手術や抗がん剤をしていたら、
今みたいな生活は出来なかった。」
「入院したままで、家に帰れることも無かったでしょう。」

先生の説明は、高齢故に体力が持たないため、
普通に生活させるのが一番いいことだと、家族の意思で
抗がん剤とかの治療を行っても、治療が苦しくて
途中でリタイアする患者さんもいるからと、淡々を語っていた。

僕は、そう言われると今の状態が正解だと思ったが、
やっぱり余命1年の現実は厳しいと思った。

昔、おっ母が言っていた事を思い出した。
「お母さんががんになったら、抗がん剤とかはやらない。
そのままで、痛いのだけ無くしてくれりゃいいや。」
「お母さんの友達で、抗がん剤やってたけど、
普段は愚痴も言わない人だけど、辛いって言ってたから、
それでも半年で亡くなったからな。」

先生との話が終わり、会計と処方箋を済まし、
日は上まで登り、車まで移動する僕らを照らした。
帰りにうどんを食べて帰ることになった。

全国展開している、うどんチェーンに行き、
各自好きな天ぷらとかけうどんを頼んだ。

「ここのうどんは腰があって旨いな、値段も安いし。」
「いつも焼き肉だと、お前の財布が多変だからな、
うどんにしといたぞ。」

得意げに笑う、おっ母は旨そうに、うどんを啜った。
おっ母は、金を使わせないように気を使ったのだろう。

家に帰り、インスリンの注射をおっ母がやっていた。
正常に機能しないすい臓のため、食事のたびに注射を打っていた。
高血糖も問題だが、低血糖も意識混濁になり発汗するなどがあった。

がんの症状は、今のところは無いが、
糖尿病や脳溢血等の症状はたまに出た。

その都度、僕の携帯は鳴り
深夜でも病院に駆け込むことは多かった。
大事には至らず、病院での処置により1週間の入院
程度で済んでいた。

がん患者の知り合いもなく、最後がどうなるかも
僕は想像は出来なかった。それでも、何か事が
起きれば、直ぐに病院に駆け込む準備だけは出来ていた。

もう自分で行く病院分も、親の分で元を取ったように
病院に駆け込んだと思う。高齢の親を持つと、60代で経験することが
30~40代で経験することなんだと思った。

当然、一緒にいる時間も短いことなんだなと、
ふと思った。