線香花火

数年前にすい臓がんで亡くなった母親と僕の話です。

1年


余命1年の宣告を受けてから、
1年が経過した。症状は現れることなく
平和な日々は続いた。

待ち時間の長い病院で、診察を受ける。
後ろに座って、説明を受ける。
先生は、それほど大きくなってないし
しばらく様子を見ましょうとおっ母に説明していた。
おっ母を、待合室で待たせて、先生に聞いた。

「先生、もう1年経ってますけど」
「そうだね。あれおっかしいなぁ、
まぁ、元気なんだからいいじゃない。」

他人事だと思った。
余命宣告ってなんなんだと思った。
円形脱毛まで作って聞いた話なのに・・
これから注意するべき点はないか確認をしたが
明確な回答は無かった。

この時、セカンドオピニオンとかをしていれば
結果は違っていたのかもしれないが、
当時の僕には、発想出来なかった。
今のおっ母をみていると、とても余命宣告受けた
がん患者には見えなかった。

いつまでも、この生活が続くのかと思っていた。

しばらくしないうちに、部署移動となり
ハードな異動先で、仕事が優先されるようになり
おっ母への心配も薄らいでいった。

平日は家に帰る日が減り、週末だけ家に帰るようになり
週末は泥のように眠った。

おっ母は、残業で疲れた僕を気遣うようになり
自分の用事は自分で済ますようになった。
一軒家に住んでいるが、顔を合わす時間は
減っていった。

それでも、土曜の夜は、僕の好きな物を作ってくれた。
土曜の夜に一緒にご飯を食べることが、
その時の僕にできた親孝行だった。

晩ご飯を食べながら、会社での出来事とかを
目を細めて、聞いてるおっ母。
時には、嫌なことがあり、愚痴を垂れると、
一緒に憤慨するおっ母。

「そんな奴には、言ってやればいいんだ!」
「会社なんだから、言えたら苦労しないよ。」

会社勤めしたことが無いおっ母の発想は自由だった。
自分に正直な人だった、怒ってるときは怒り
我慢はしない。親切にするときは、とても親切に
人に接した。

このご時世で、こんなに喜怒哀楽がある人は
珍しいと思った。

そう言えば、テレビを2階で見ていて、
ヤバい泣きそうと思うシーンがあり、
1階に行き同じ物を見ていると、大体号泣していた。

「泣いてやんの~」と茶化すと、
「泣いてねぇ」と返ってきた。

本当に飽きないおっ母だと思った。